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作品紹介など思い出とともに。ときどき思いついたように更新。画質が悪いです。すみません。
※ サイトリニューアルでこのスタイルにしたため、古い作品であっても文章はすべて2024年以降のものです。
【latest update】2024.12.18

改めて布作品について
いま取り組んでいるのは布を使った作品だ。
はじめは知り合いの人たちに、もう使わない布類をいただいて実験をするところからスタートした(ご協力いただいた皆様ありがとうございました!)。
「布を使った作品をつくる」という漠然としたところからはじめたので、最初はうまくいかず、ちょっといじっては放置、ちょっといじっては放置を繰り返しているうちに、1年近く経ってしまった。
「ようやくかたちになるかも」と思えたのが、今年2024年6月。扱いやすい布を絞り込んで、生地屋さんで購入してからのことだった。
そこからさらに実験し、メインで使う布を決め、やっと第一弾の作品ができたのが8月。その後、何度かバージョンアップさせていき、ひとつの完成形が見えたのは10月に入ってだった。
しばらく制作から離れていたので、以前に比べると集中力や馬力が足りない。でも、以前よりも作品と自分との距離がきちんと取れているように思う。
そして、見たことのないものを創りたいという気持ちは、今も衰えていない。
2024.12.1
はじめは知り合いの人たちに、もう使わない布類をいただいて実験をするところからスタートした(ご協力いただいた皆様ありがとうございました!)。
「布を使った作品をつくる」という漠然としたところからはじめたので、最初はうまくいかず、ちょっといじっては放置、ちょっといじっては放置を繰り返しているうちに、1年近く経ってしまった。
「ようやくかたちになるかも」と思えたのが、今年2024年6月。扱いやすい布を絞り込んで、生地屋さんで購入してからのことだった。
そこからさらに実験し、メインで使う布を決め、やっと第一弾の作品ができたのが8月。その後、何度かバージョンアップさせていき、ひとつの完成形が見えたのは10月に入ってだった。
しばらく制作から離れていたので、以前に比べると集中力や馬力が足りない。でも、以前よりも作品と自分との距離がきちんと取れているように思う。
そして、見たことのないものを創りたいという気持ちは、今も衰えていない。
2024.12.1

スランプからの脱出
ここしばらくは、制作スペースを快適なものにするために、油彩の古いキャンバスの整理をしている。
今日は130号を2枚、120号を2枚、他にも50号、30号など、一気にキャンバスを木枠から剥がす。そこそこの肉体労働であるだけでなく、しばらくやっていると釘抜きやペンチを持つ手が痛くなってくる。
利き手に数か所メスが入っていて、7年ほど不自由な生活をしていた。今はまったく問題はないのだけれど、以前よりも握力が弱いため、力仕事をする際には力のかけ方に少しコツがいる。ときどき休憩をしたり手首を冷やしたりしながら、ひたすら剥がす。この作業は無心になれるから結構好きだ。
***
昔、ギャラリーのオーナーに「絵は勝手に処分しないように」と言われたことがある。
「自分でこの絵はイマイチだと思っても、いい絵が含まれていることがあるから」という理由だったのだけれど、この数年で結構な量の絵を処分してしまった。
自分の絵だし、自分のその時点での判断なので、仮に後悔するようなことがあっても、それはそれで正解なのだと思う。
今回、剥がしている絵も、もちろん処分対象だ。当然、木枠自体は残すので制作スペースが広がるわけではないのだけれど、古い絵を剥がすことで部屋の中の空気の重さが変わってくる。
今日で随分と空気が軽くなった。けれど、もう少しスペースを整えたいと思う。もう少し、というか、年内には快適なスペースを完成させるつもりだ。
今日は130号を2枚、120号を2枚、他にも50号、30号など、一気にキャンバスを木枠から剥がす。そこそこの肉体労働であるだけでなく、しばらくやっていると釘抜きやペンチを持つ手が痛くなってくる。
利き手に数か所メスが入っていて、7年ほど不自由な生活をしていた。今はまったく問題はないのだけれど、以前よりも握力が弱いため、力仕事をする際には力のかけ方に少しコツがいる。ときどき休憩をしたり手首を冷やしたりしながら、ひたすら剥がす。この作業は無心になれるから結構好きだ。
***
昔、ギャラリーのオーナーに「絵は勝手に処分しないように」と言われたことがある。
「自分でこの絵はイマイチだと思っても、いい絵が含まれていることがあるから」という理由だったのだけれど、この数年で結構な量の絵を処分してしまった。
自分の絵だし、自分のその時点での判断なので、仮に後悔するようなことがあっても、それはそれで正解なのだと思う。
今回、剥がしている絵も、もちろん処分対象だ。当然、木枠自体は残すので制作スペースが広がるわけではないのだけれど、古い絵を剥がすことで部屋の中の空気の重さが変わってくる。
今日で随分と空気が軽くなった。けれど、もう少しスペースを整えたいと思う。もう少し、というか、年内には快適なスペースを完成させるつもりだ。

絵に救われた話
絵が描けなくなって数年。単なるスランプではなく外的要因による精神的ダメージで、描こうとすると涙が出たり、もどしたりという時期が続いた。
「もう大丈夫」と思ってキャンバスに何度も向かったけれど、なにが大丈夫だったのか全くわからないほどに毎回崩れ落ちた。そして、「もう絵はやめよう」と、木枠も道具もすべて処分しようとしたこともある。
*
2023年の年末、それ以前に使わせていただいていたアトリエに、置きっぱなしになっていた荷物を引き上げにいった。そのとき出てきたのがこの絵である。
この絵はとてもあたたかくて、やさしくて、わたしをすべて受けとめてくれた。「生きていることの幸せ(ちょっと大袈裟だけれど)」や「絵を描くことの喜び」、そして「自分が自分であっていいのだ」ということを思い出させてくれた。そして、「あぁ、こんな絵を描いていたんだ」と涙があふれてきた。
これまで美術館などで絵を見て鳥肌が立ったり感動したりすることはあったけれど、こんな感覚は今までに経験したことがなかった。「絵に救われる」という瞬間。それも「自分の絵」によって「自分が救われる」という奇跡的な瞬間。
この絵は大切に自分の部屋に飾ってある。
そして今でもわたしをやさしく見守ってくれている。
きっといつかまた近い将来、キャンバスに向かえる日がくるだろう。
***
絵は自分で描いているようであって自分で描いていないようなものだから(謎の表現(笑))、「自分の絵」という表現はおこがましいな。
—
2020年
162×162cm
油彩・キャンバス
「もう大丈夫」と思ってキャンバスに何度も向かったけれど、なにが大丈夫だったのか全くわからないほどに毎回崩れ落ちた。そして、「もう絵はやめよう」と、木枠も道具もすべて処分しようとしたこともある。
*
2023年の年末、それ以前に使わせていただいていたアトリエに、置きっぱなしになっていた荷物を引き上げにいった。そのとき出てきたのがこの絵である。
この絵はとてもあたたかくて、やさしくて、わたしをすべて受けとめてくれた。「生きていることの幸せ(ちょっと大袈裟だけれど)」や「絵を描くことの喜び」、そして「自分が自分であっていいのだ」ということを思い出させてくれた。そして、「あぁ、こんな絵を描いていたんだ」と涙があふれてきた。
これまで美術館などで絵を見て鳥肌が立ったり感動したりすることはあったけれど、こんな感覚は今までに経験したことがなかった。「絵に救われる」という瞬間。それも「自分の絵」によって「自分が救われる」という奇跡的な瞬間。
この絵は大切に自分の部屋に飾ってある。
そして今でもわたしをやさしく見守ってくれている。
きっといつかまた近い将来、キャンバスに向かえる日がくるだろう。
***
絵は自分で描いているようであって自分で描いていないようなものだから(謎の表現(笑))、「自分の絵」という表現はおこがましいな。
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2020年
162×162cm
油彩・キャンバス

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2021年
油彩・キャンバス
2021年
油彩・キャンバス

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2021年
2021年

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2021年
2021年

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2021年
油彩・キャンバス
2021年
油彩・キャンバス

小品をいくつか
「小さい絵が描けても、大きな絵を描けない人は多い。でも、大きな絵が描ける人はどんなサイズの絵でも描ける」というようなことを言われたことがある。
たしかに前者はそのとおりだと思う。小さな絵が描けても大きな絵を描けるわけではない。でも、後者はどうなんだろうと、いつも疑問だった。
わたしには「自分は小さな絵が苦手が」という思い込みがあって、その苦手意識が「描けない」という思い込みにつながり、自分の首をしめていることはわかっていた。
いま思うと、本質的には「苦手」とかそういう問題ではなく、単に「小さい絵を描くのが好きかどうか」という、それだけの問題なのだと思う。
ここからは数枚、小さな絵をアップ。
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2021年
33.3cm×33.3cm
油彩・キャンバス
たしかに前者はそのとおりだと思う。小さな絵が描けても大きな絵を描けるわけではない。でも、後者はどうなんだろうと、いつも疑問だった。
わたしには「自分は小さな絵が苦手が」という思い込みがあって、その苦手意識が「描けない」という思い込みにつながり、自分の首をしめていることはわかっていた。
いま思うと、本質的には「苦手」とかそういう問題ではなく、単に「小さい絵を描くのが好きかどうか」という、それだけの問題なのだと思う。
ここからは数枚、小さな絵をアップ。
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2021年
33.3cm×33.3cm
油彩・キャンバス

「物質感」を思う
現時点で制作年が不明。
ただ、この絵は絵具のボリュームについて考えていたときの絵なので、もう少し前の作品だ。2019年〜2021年のどこかだと思う。
正確な年数が判明したら、順番を入れ替えます。
で、絵の話。
この絵は絵具のボリューム、物質感について考えていて、少しレリーフチックといえばわかりやすいだろうか。
当時はちょっと現代的でないと思ったのだけれど、今見てみると、いやいやなんと上質な絵であることか!(笑)
こんな路線でまた描いてみるのも、リハビリになるかもしれない。知らんけど。
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20??年
33.3cm×33.3cm
油彩・キャンバス
ただ、この絵は絵具のボリュームについて考えていたときの絵なので、もう少し前の作品だ。2019年〜2021年のどこかだと思う。
正確な年数が判明したら、順番を入れ替えます。
で、絵の話。
この絵は絵具のボリューム、物質感について考えていて、少しレリーフチックといえばわかりやすいだろうか。
当時はちょっと現代的でないと思ったのだけれど、今見てみると、いやいやなんと上質な絵であることか!(笑)
こんな路線でまた描いてみるのも、リハビリになるかもしれない。知らんけど。
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20??年
33.3cm×33.3cm
油彩・キャンバス

未完の作
これは描きかけのまま終わってしまった。でも、タブローとしてではなく、ドローイングとしてかなり面白いと思うので、自分のための記録としてアップ。
あずき色の色味にものすごくこだわっていたのだけれど、画面が光っていて細部まで見えないのがザンネン。
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2021年
194×292.3cm
油彩・キャンバス
あずき色の色味にものすごくこだわっていたのだけれど、画面が光っていて細部まで見えないのがザンネン。
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2021年
194×292.3cm
油彩・キャンバス

パノラマショット
4つの作品を並べてみた。パノラマ撮影なので、びよよよよ〜んとしている。
右の作品は制作途中。
左の3枚は、その後活動休止することになるとは思いもせず、ご機嫌で仕上げた最後の作品となった。いま思えば、この頃には心のなかの小さな亀裂が大きくなりつつあったのだと思う。
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2021年
左から
162×162cm 油彩・キャンバス
162×162cm 油彩・キャンバス
162×162cm 油彩・キャンバス
162×194cm 油彩・キャンバス
右の作品は制作途中。
左の3枚は、その後活動休止することになるとは思いもせず、ご機嫌で仕上げた最後の作品となった。いま思えば、この頃には心のなかの小さな亀裂が大きくなりつつあったのだと思う。
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2021年
左から
162×162cm 油彩・キャンバス
162×162cm 油彩・キャンバス
162×162cm 油彩・キャンバス
162×194cm 油彩・キャンバス

浮遊する(work in progress)
制作途中だった絵だけれど、ドローイングとして面白いのでアップ。
性格的にドローイングのほうが向いているし、ドローイング的に仕上げるほうが楽しい。
とはいえ、がっつり取り組んで仕上げた作品は作品で、学びも大きいし充実感もある。
だから、「こっちがいい」「あっちがいい」と言っている場合ではなく、どんな形であれとにかく描け、たくさん描け、そして描き続けろということだよな〜と、この文章を書きながら思った瞬間、描くこと自体ができなくなった自分を思って、涙しそうになる。
というのはウソ(笑)。わたしは確実に回復してきている。その日は近いはずだ。
***
先に画像を時代順にアップしながら(追加でもアップしているけれど)、テキストは後からちまちま書いているので、テキストの内容は前後しまくりです。
読んでくださったみなさま、どうぞ混乱なさいませんように。
---
2021年
162×194cm
油彩・キャンバス
性格的にドローイングのほうが向いているし、ドローイング的に仕上げるほうが楽しい。
とはいえ、がっつり取り組んで仕上げた作品は作品で、学びも大きいし充実感もある。
だから、「こっちがいい」「あっちがいい」と言っている場合ではなく、どんな形であれとにかく描け、たくさん描け、そして描き続けろということだよな〜と、この文章を書きながら思った瞬間、描くこと自体ができなくなった自分を思って、涙しそうになる。
というのはウソ(笑)。わたしは確実に回復してきている。その日は近いはずだ。
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先に画像を時代順にアップしながら(追加でもアップしているけれど)、テキストは後からちまちま書いているので、テキストの内容は前後しまくりです。
読んでくださったみなさま、どうぞ混乱なさいませんように。
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2021年
162×194cm
油彩・キャンバス

軽やかな生命
ドローイングとしては完成。タブローとしてどうするかを迷っていたのだけれど、美しさ、生命力を伝えてくれるこの絵をこのまま残しておきたいと思って、ここで終わらせた。
***
でも、のちに処分したかも(汗)。
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2021年
194×162cm
油彩・キャンバス
***
でも、のちに処分したかも(汗)。
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2021年
194×162cm
油彩・キャンバス

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2021年
2021年

ポコラート
ポコラートの展示風景。
「CHOCO BABY」「かっぱえびせん」「コーラガム」を抽象化したドローイング、計3点を展示した。
タイトルは
・TYOCO VAVY
・かっぽえびせん
・こらーっガム
写真が見つかったら追加します。
***
相変わらず、おふざけが好きだ。
---
2019年
「CHOCO BABY」「かっぱえびせん」「コーラガム」を抽象化したドローイング、計3点を展示した。
タイトルは
・TYOCO VAVY
・かっぽえびせん
・こらーっガム
写真が見つかったら追加します。
***
相変わらず、おふざけが好きだ。
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2019年

ほぼ4メートル!
家の事情で東京を留守にすることが多くて、なかなか制作できない時期だった。しばらく描いていないから相当感覚が鈍っているだろうと思ったけれど、そうでもなかった。
「わたしの身体はワインでできている」と言った女優さんがいたけれど、「わたしの身体は油絵具でできている」のかもしれない。
ただ、締切があってかなりの早描きだったので、物質的な弱さは否めない。
それにしても、だ。
やっぱり大きな絵を描くのが好きだ。これは自分史上いちばん大きなサイズで、横幅が3メートル88センチある。
でも、もっともっと大きな絵を描きたい。
どこぞの富豪がスポンサーになって、「自由に描いてくれ」と宮殿でも与えてくれないかしら。壁から天井から絵で埋め尽くしまっせ。(システィーナ礼拝堂的な意味です)
---
2020年
162×388cm
油彩・キャンバス
「わたしの身体はワインでできている」と言った女優さんがいたけれど、「わたしの身体は油絵具でできている」のかもしれない。
ただ、締切があってかなりの早描きだったので、物質的な弱さは否めない。
それにしても、だ。
やっぱり大きな絵を描くのが好きだ。これは自分史上いちばん大きなサイズで、横幅が3メートル88センチある。
でも、もっともっと大きな絵を描きたい。
どこぞの富豪がスポンサーになって、「自由に描いてくれ」と宮殿でも与えてくれないかしら。壁から天井から絵で埋め尽くしまっせ。(システィーナ礼拝堂的な意味です)
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2020年
162×388cm
油彩・キャンバス

エネルギーの渦
ひとつ前のエントリー「結界」と並行して描いていた絵。こちらも約2m×3m。
自分のなかのエネルギーが視覚化されたかのような絵だと思う。
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2019年
194×292.3cm
油彩・キャンバス
自分のなかのエネルギーが視覚化されたかのような絵だと思う。
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2019年
194×292.3cm
油彩・キャンバス

「結界」
以前、作品がマッチョだと言われた話を書いたことがあったけれど、この絵を見ると、たしかにマッチョかもしれないと我ながら思う。
そもそもサイズが大きいというのはあるのだけれど(約2m×3m)、かなりの量の絵具がのっているので、とても重くて運ぶのが大変だった。これまででいちばん重い絵だ。
それにしても力強いなぁ。
この強さを再び取り戻したい。
作品タイトルは「結界」。
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2019年
194×292.3cm
油彩・キャンバス
そもそもサイズが大きいというのはあるのだけれど(約2m×3m)、かなりの量の絵具がのっているので、とても重くて運ぶのが大変だった。これまででいちばん重い絵だ。
それにしても力強いなぁ。
この強さを再び取り戻したい。
作品タイトルは「結界」。
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2019年
194×292.3cm
油彩・キャンバス

リアルな記憶
某コンクールで佳作となった作品。
この絵に関しては特に大きな思い出はないのに、描いていたときの感覚やニオイ、絵具の重さまでリアルに思い出せる。なぜだろう。
色をつくるのに、絵具をしつこくしつこく練っていた。
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2019年
116.7×116.7cm
油彩・キャンバス
この絵に関しては特に大きな思い出はないのに、描いていたときの感覚やニオイ、絵具の重さまでリアルに思い出せる。なぜだろう。
色をつくるのに、絵具をしつこくしつこく練っていた。
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2019年
116.7×116.7cm
油彩・キャンバス

自分が自分でいられる瞬間
「こんなに大きなドローイングを描いてどうするんだ」と言われるけれど、大きな絵を描くのが好きなのだから仕方がない。
大きなストロークで線を引いているときのわたしはきっと、いい意味で殺気立ち、キレッキレで目が爛々と輝いていると思う。
生きていて、いちばん自分らしくいられる瞬間。とにかく幸せ。とにかく楽しい。
こんな喜びを与えてくれて、神様ありがとう(笑)。
---
2018年
181.8×227.3cm
油彩・キャンバス
大きなストロークで線を引いているときのわたしはきっと、いい意味で殺気立ち、キレッキレで目が爛々と輝いていると思う。
生きていて、いちばん自分らしくいられる瞬間。とにかく幸せ。とにかく楽しい。
こんな喜びを与えてくれて、神様ありがとう(笑)。
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2018年
181.8×227.3cm
油彩・キャンバス

地元フェスにて
地元のフェスでライブペインティング。声をかけてくださる方がたくさんいて楽しく過ごせた。
「人前で描くことが好きか」と問われれば、好きではない。正直、描いているのを見られるのは苦痛でしかない。
けれど、それは普段のモードでのこと。ライブペインティングは別物だ。
もともと「瞬発力」を重視しているため、良くも悪くも自分に大きなプレッシャーをかける描き方をしているのだけれど、それは好きでやっていることであって、いわば内的要因。けれど、ライブペインティングは外的要因のオンパレードになる。
「見せる」と「魅せる」の両立の意識。限られた時間で仕上げなければならないという緊張感。見ている方とのコミュニケーション。そして、「絵のなかにサービス精神を持たない」わたしでも、人前、それも美術に馴染みのない人たちの前で描くとなると、それなりにサービス精神を持った絵を描かざるをえない(まぁ、それでも、あまり親切ではないのだけれど)。
だからこそ、ライブペインティングは自分にとって刺激的で、自分を鍛える場となる。そして何よりも自分にとってもお祭りイベントという位置づけだから楽しい。
「制約」があるからこそ「自由」の有り難さが増す。この場を与えてくれた皆様に感謝。
***
とくにプランはなかったのだけれど(いつものこと)、近くを流れる川をイメージした作品に。
そうそう。使い慣れていないアクリル絵具で描きあげるというのも、いい刺激になった。
---
2018年
194×162cm
アクリル・キャンバス
「人前で描くことが好きか」と問われれば、好きではない。正直、描いているのを見られるのは苦痛でしかない。
けれど、それは普段のモードでのこと。ライブペインティングは別物だ。
もともと「瞬発力」を重視しているため、良くも悪くも自分に大きなプレッシャーをかける描き方をしているのだけれど、それは好きでやっていることであって、いわば内的要因。けれど、ライブペインティングは外的要因のオンパレードになる。
「見せる」と「魅せる」の両立の意識。限られた時間で仕上げなければならないという緊張感。見ている方とのコミュニケーション。そして、「絵のなかにサービス精神を持たない」わたしでも、人前、それも美術に馴染みのない人たちの前で描くとなると、それなりにサービス精神を持った絵を描かざるをえない(まぁ、それでも、あまり親切ではないのだけれど)。
だからこそ、ライブペインティングは自分にとって刺激的で、自分を鍛える場となる。そして何よりも自分にとってもお祭りイベントという位置づけだから楽しい。
「制約」があるからこそ「自由」の有り難さが増す。この場を与えてくれた皆様に感謝。
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とくにプランはなかったのだけれど(いつものこと)、近くを流れる川をイメージした作品に。
そうそう。使い慣れていないアクリル絵具で描きあげるというのも、いい刺激になった。
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2018年
194×162cm
アクリル・キャンバス

わたくしマッチョですか?
むかしは氷屋さんだった建物を活用したギャラリーでの展示のために、描きあげた作品。やはり大きな絵を描くのは楽しいし、自分に向いていると思う。
約2×3メートルという大きさであるとはいえ、本当はもっともっと大きな絵を描きたい。これでも画面が小さいと思ってしまう。
わたしの夢は、建物一棟を与えられて、一生こもって壁から天井からあらゆる場所に絵を描き続けることだった。
今は他にも楽しいことが増えすぎてしまって、一生こもってはできなさそうだけれど(笑)、やはり、ただただどこまでも広がる画面に向かって描き続けたいという思いはある。
ところで、展示を観にきた評論家さんにあれこれコメントをいただいたのだけれど、そのなかの「マッチョな作品ですね」という言葉が印象に残った。
思いがけない言葉に「そうか、わたしはマッチョなのか」と、なんだか可笑しくなった。
タイトルは「ゆらゆらユーラシア」。
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2018年
194×292.3cm
油彩・キャンバス
約2×3メートルという大きさであるとはいえ、本当はもっともっと大きな絵を描きたい。これでも画面が小さいと思ってしまう。
わたしの夢は、建物一棟を与えられて、一生こもって壁から天井からあらゆる場所に絵を描き続けることだった。
今は他にも楽しいことが増えすぎてしまって、一生こもってはできなさそうだけれど(笑)、やはり、ただただどこまでも広がる画面に向かって描き続けたいという思いはある。
ところで、展示を観にきた評論家さんにあれこれコメントをいただいたのだけれど、そのなかの「マッチョな作品ですね」という言葉が印象に残った。
思いがけない言葉に「そうか、わたしはマッチョなのか」と、なんだか可笑しくなった。
タイトルは「ゆらゆらユーラシア」。
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2018年
194×292.3cm
油彩・キャンバス

勇気の白
写真の画質がかなり悪いのだけれど、これは明るい白の絵だ。
これだけ大きな面積に白を塗るというのは、なかなか勇気がいる。生っぽくならないように白をつくる。ほんのちょっとのミスで絵具がおじゃんになる(けっこうおじゃんにした)。
ベースとなる白を大量に買い込んでいたのに足りなくなって、慌てて絵具を買いにいったことを覚えている。
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2018年
162×194cm
油彩・キャンバス
これだけ大きな面積に白を塗るというのは、なかなか勇気がいる。生っぽくならないように白をつくる。ほんのちょっとのミスで絵具がおじゃんになる(けっこうおじゃんにした)。
ベースとなる白を大量に買い込んでいたのに足りなくなって、慌てて絵具を買いにいったことを覚えている。
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2018年
162×194cm
油彩・キャンバス

光のエネルギー
珍しく明るい色の絵を描いた。タイトルは「フォトン」。フォトンとは光子(こうし)のことで、わかりやすくいうと「光のエネルギー」のこと。
この頃は、物理科学をテーマにしていて(正確にいうと、意識してそうしたのではなく、自然とそうなっていた)、「周波数」や「ドップラー効果」というタイトルの絵なんかも描いていた。
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2018年
181.8×227.3cm
油彩・キャンバス
この頃は、物理科学をテーマにしていて(正確にいうと、意識してそうしたのではなく、自然とそうなっていた)、「周波数」や「ドップラー効果」というタイトルの絵なんかも描いていた。
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2018年
181.8×227.3cm
油彩・キャンバス

「存在がはかれない」
同時並行して描いていた4枚のうちの1枚。
わたしには「無責任な線問題」という課題があった。正確には、キャンバスに向かったときにドローイング的にぐわっと描いていくので、その時の線がタブローで必要なのかどうなのかという問題である。この絵は、否応なくその問題を考えざるを得なかった。
自分的には、「無責任に見える線」も必要不可欠な線なのだけれど。
この問題は一生解決しないかもしれない。うまく言語化できそうなときに、改めて加筆しようと思う。
ちなみに、タイトルは「存在がはかれない」。
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2018年
162×162cm
油彩・キャンバス
わたしには「無責任な線問題」という課題があった。正確には、キャンバスに向かったときにドローイング的にぐわっと描いていくので、その時の線がタブローで必要なのかどうなのかという問題である。この絵は、否応なくその問題を考えざるを得なかった。
自分的には、「無責任に見える線」も必要不可欠な線なのだけれど。
この問題は一生解決しないかもしれない。うまく言語化できそうなときに、改めて加筆しようと思う。
ちなみに、タイトルは「存在がはかれない」。
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2018年
162×162cm
油彩・キャンバス
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